悪魔と天使
          * 1 *
 いつからだろう。
 私が、葬式の賛美歌しか歌わなくなったのは。

 牧師になって4年は経つだろうか。私の周りでも、随分と物騒な事件が増えた。小さな頃両親を交通事故で失った私を引き取り、牧師になるまで面倒を見てくれたこの教会の老シスターが、通り魔によって殺されてしまってからか、他殺やら自殺などの「自然でない死」が増えたような気がする。
 彼等の魂を天へ見送る賛美歌が、今日も響く。しかし、あまりに酷い殺され方、あるいは生前の自殺に至る経歴のせいか、私はずっと彼等の迷える魂が、いつも私のそばですすり泣いているような気がしてならなかった。
 そしていつしか・・・とうとうその泣き声が聞こえるようになってしまったのだ。
 ある者は金持ちの家に生まれ、ただ金の事しか考えない親に叱られ、無視され、使用人にも遺産目当てでしか接してもらえず、ゴミクズ同然の扱いしか受けずに14年間しか生きる事ができなかったという。またある者は突然の銃声に驚いてその方向を見たというだけで口封じの為殺された、また歩いていただけで誘拐され殺された、他にも結婚相手が少し金持ちだからというだけで殺人の濡れ衣を着せられ、誰一人として1秒ででっちあげたようなトリックの解明をせず、この世のすべてが敵でしかなくなった世界に自分が生まれた事が悔しくて獄中で自殺した、髪形が似ていただけで脱獄犯と間違われて射殺された等など、また言うもはばかられる恐ろしい死に方をした女性もいて、自分が男性である事を悔やむほどだったという事もある・・・。

 そんなある日。ある人の紹介によって、殺人未遂で逮捕された犯人のもとへ行く事になった。自分が結婚する時に式を挙げた教会の牧師である私に、自分の息子に聖書の言葉を教えてあげてくれ、という事であった。
 彼は、ひどい人間不信になっていた。周囲からのひどいいじめの中で唯一自分の味方だった恋人が死んだ理由が、ある麻薬密売組織か何かの取り引き現場を偶然目撃した事の口封じで、しかも自分のいる化粧品会社の上司が取り引き相手だったのをつきとめたが、決定的な証拠がどうしても得られず、何かあったら全部自分にしわよせを押し付けられて諸悪の根源のような扱いをされていたため法も正義も神も味方してくれやしないと悟り犯行に至ったという。
 こういう時は、罪を裁くのは人より主なる神に任せるのがいい、悪い人は生前いい暮らしをしていても主によって地獄に落とされると説いたらいい、というのが今までの私の経験から得られた結論。の、筈だったが。
 「もしそれが本当なら、俺が今死んだら天国の彼女の元へ行って、奴らが地獄に落ちるのを見る事ができるはずだ。この世が束の間の夢だとしたら、なんで生まれた命を、自分自身のものでも奪う事が許されない悪なんだ。どうせ人は死ぬのに、この世は幻なのに、なんでこんな辛い思いをしなくちゃいけないんだ、なんで殺してはいけない命が生まれてくるんだ?」
 困り果てたが適当にあしらってどうにか彼の気持ちを落ち着ける事が出来た。聖書の言葉の美しさと現実の醜さのギャップに内心嘆きながら、私は帰路についた。

 彼と似た境遇にいて、世界の全てに絶望して自殺した少女の霊が、私に語りかけてきた。彼女は、自殺する前にずいぶんと精神がダメージを受けていて、しばらくの間精神病院にいた時が一番幸せだったという。そして、何故自殺したのかわからない、いつの間にか体が勝手に動いてピストルで頭を撃ち抜いていた、死ぬ間際の苦痛は酷かったし、今も確かに寂しい闇の中にいて辛いが、生前の苦しみに比べればどうって事ないわ、と語っている。
 もう遅くなっていたので、夜の祈りの後、すぐ寝る事にした。
 その日の夢は、随分と怖い夢であった。何かに追いかけられていて、必死に逃げているうち、とうとう追い詰められ、高層ビルの屋上から真っ逆さまに落ちていく私。今まで殺されかけた事は数知れず、生死の境を彷徨ったのも数えられる程度の回数ではない私だが、あんなに怖い思いは、した事が無かった。何故だろう・・・
 ふと、恐怖の余韻を忘れる為に聖書を読む。「母親が、その子を愛さない事などあろうか」という部分であった。しかし今は、自分で産んだ子を平気で捨てたり殺したりする親がたくさんいる。どうしたものか。
 などと悩んでも、しょうがない。朝日が昇るまでまだ時間がかなりかかるという時刻だったので、また寝る事にした。

 また朝が来る。葬式以外の礼拝の暇が無い。やれやれ、と思っていたが、この時はいつもと少し様子が違った。死んだのは、昨日のあの青年である。その横には、ひどく悲しげな警官の顔。話によると、その警官、脱走して例の上司達を本気で殺しにかかった青年を止めるために止むを得ず射殺したというではないか!
 最期まで己の不幸と自分にすべての責任を押し付けるだけ押し付けて本当に悪い者には祝福を与えてばかりだった神の不公平さを呪って息絶えた彼を、本当に殺して良かったのだろうか、と悲しんでいた。そして警官らしくもなく、本当の正義とは何なのか、いくら邪悪な者でも殺してはいけないのか、と悩んでいる・・・。
 私は、犠牲者の罪を許してほしいと祈らずにはいられなかった。
                       − 続く −
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