悪魔と天使
          * 2 *
 「気にいらない奴を殺してやりたいと思った事、ある?」
 女は私に、好きな食べ物は何かを尋ねるような口調で言ってのけた。
 「まさか!牧師が人を殺したいだなんて思う訳無いでしょう。キリストの教えを守る人は、自分を迫害する者の為にも祈らなくてはいけないのですから」
 「それもそうね」
 私が話している相手は、10代後半〜20代前半とおぼしき日本人女性。今、彼女は私の部屋の天井から顔をのぞかせ、私と話をしている。つい先日、彼女はニュースに出ていた。その内容はこう。学生時代のひどいいじめの為に同窓会の会場であった同級生宅で自殺したという。復讐として、数人の命を道連れに。本当は一番嫌な人にその罪をなすりつけて逃げるつもりだったらしいが失敗したとか。
 こんな異常な(はずの)事が日常となりつつある。幽霊と会話というのだけでも、十分異常な気もするが、その事でなく。
 私は故郷アメリカを離れ、日本に来て学校の礼拝の時に説教をするだけでなく、救いを必要としている人に聖書の言葉を教える仕事をしているが、まさかそんな事になるのが当り前だとは。世の中がこんなに荒れていたのは、私のいた街だけではなかった。

 次の日もまた次の日も、教会へ説教をする、あるいは生き地獄の中の人に光を与える言葉をあげる仕事で、日本のいろいろな場所に行った。そして、人々の心が荒れている現われが、私の故郷の街では殺人等の物理的攻撃、日本では中傷やら疎外、無関心といった精神的攻撃になっているという大まかな傾向がわかった。
 人間の心の醜い部分を目のあたりにするのは辛い。ふとした事で、自分が一生懸命やっている事は実は間違った事なのだろうか、と思ってしまい、気が滅入って牧師という立場も忘れて自殺したくなる、いや死んでこの世の人々にお詫びしなければいけないという気分になる事もあった。だが相談した相手は「牧師が何を言っている、聖書の教えを守りさえすりゃいいだろう。あなたには、まだ生きて成し遂げる義務があるのだから」というような事を言って元気づけてくれた。
 そして帰国。日本人は結構いい人がいっぱいいた(それでも今、常識的モラルを持っている人は貴重らしい)のでやはり名残惜しかった。だが救いを求める人は日本人だけではない。私の力は非常に小さいが、それでも無いよりはいくらかましかも知れない。

 故郷の街での最初の仕事は、また殺された人の葬式・・・かと思いきや、一人の警官に頼み事をされた。彼の追う事件について、助力が欲しいと。なんでも、金持ちの家同士でのささいなトラブルがあって、両家の主他多くの犠牲を出す殺し合いにまで発展し、残った人もまだイライラ、カリカリしているという。一流弁護士もお手上げ。説得するのには、文字どおり神頼みしか残された方法が無いとか・・・
 早速、その喧嘩を止める為、残された人達の所へ。
 しかし、対立するどちらの言い分も正しいというか、どんぐりの背比べ・・・と言える程にも達していない低レベルな争いというか、どちらにしろ中立の立場に立たざるを得ない。(本音を言うと、関わり合いたくない)やれ遺産がどうだの、結婚相手がどうだの、教養がどうだの人に対する態度がどうだの・・・
 困り果てた私は、わらにもすがる思いで手に持っていた聖書を開いた。最初に目に飛び込んだのは・・・・「あなたの手があなたを邪悪なものへと導くのなら、その手を切り取って捨てよ。手がついたまま地獄の炎に焼かれるよりは、手を失って天国へ行く方がましである」といった箇所であった。だから何だと思ったが、これも神の思し召し。頭の隅にとどめておいた。

 泥沼のまま、事態はあらぬ方向へと進んでいった。
 麻薬。
 なんと私は、片方の家の主であった男が麻薬中毒患者だという事、そのせいでいざこざが起こったという事、また彼の死が過剰防衛によるものだという事を突き止めてしまったのだ。
 警官に相談した所、私の命に危険が迫っているぞとばかりに銃を手渡した。
 「こっ、こんなの使えませんって!!仮にも聖職者が、ひ、人を殺すだなんて!」
 すると彼は少し考えて、別の物を貸してくれた。

 そして翌日。それの出番が来てしまった。
 「余計な事に首を突っ込むな。そう言った筈だぜ。お前は俺の計画をダメにした。お前が来なければ俺は大金持ちだったのに!俺の親父が麻薬取り引きに関わってたのを嗅ぎ付けたのが運の尽きだと思え!」
 その主の息子が私に銃をつきつけてきたのだ。私は穏便にすませる方法は無いかと考えを巡らせていたが、目の前で発せられた銃声ですぐさま中断!手元の花瓶が砕けた。耳元で弾が壁にめり込む音がした。太股、肘のあたりに飛んで来た弾をギリギリでかわす。服の脇腹の所に少し穴が開いた!左の二の腕に軽い痛みが走る!次いでふくらはぎに激痛、滴り落ちる血!!抱えていた荷物にかかる衝撃!!空砲!!空砲?空砲・・・。
 よく見ると彼の手元は震え、目も焦点が合っていないようだった。父親とともに麻薬に体を蝕まれていたのか?足の痛みに耐えられず座り込んだ私の腕から、抱えていた荷物の中味−−それ、が転がり落ちた。
 「こんな言葉を知っていますか?」私は、あの時読んだ箇所を語った。「あなたを邪悪な行動に走らせるのは、あなたの手ですか?足ですか?それとも目、耳・・・いや、その脳でしょうか。今すぐにでも、その悪い脳を捨てて差し上げましょうか」
 それを握り、哀れな中毒患者の息子のひきつった笑みの浮かぶ顔に向ける。しかし私の言った言葉が聞こえたのだろうか。私が持っているそれが見えているのだろうか。かまわず私は、それの引き金を引いた!
 弾が、彼の耳に突き刺さるのが見えた。
 そして彼の体は、麻酔弾によってもたらされた眠気に耐えられず、がくりと崩れ落ちて寝息を立て始めた。その後彼が逮捕されたのと、私が病院送りになったのは言うまでも無い。
                       − 続く −
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